2019.11.01 fri

川上未映子「匂いが連れてくるもの」コラムvol.2

匂いというのは不思議なものだと、つくづく思う。

色も形もなく手で触れるわけでも見えるわけでもないのに、時には何よりも強く、自分というものを大きく揺さぶる。季節ごとに満ちてくる匂いもそうだし、洋服や家の匂いもそう。言葉や感情で認識するよりも早く、いつも何かを思いだしてしまうのだ。いや、「思いだす」よりも、もっと激しいことが起きているのかもしれない。あ、と思った瞬間に時間は巻き戻され、感覚や風景が甦り、自分が何歳で、いったいいつのどこを生きているのかが、ふっと解かれてしまうのだ。懐かしくて、物哀しくて、そうだった、今やってきたすべてはもう過ぎ去ったものなのだと思い知り、胸がしめつけられる。匂いって本当に不思議なものだ。

「自分というものは、何でできていると思いますか?」──もし、そんな質問をされたら、あなたはなんて答えるだろう。物理的な要素、概念的な要素、それらが組み合わさったものを挙げていくなかで、きっと「記憶」は大きな位置を占めるんじゃないかと思う。自分というもの──自己同一性というのは、ずっと生きてきた身体とおなじだけ、ずっと生きてきた時間の積み重ねが表現しているものなのかもしれない。たとえば5秒後に何かの拍子で、過去のすべての記憶を喪失したとして──何も思いだせなくても「自分」という、何かを思考する「点」は存在するだろうけれど、かなり心細い思いをするんじゃないだろうか。

幸い、わたしは記憶喪失を経験したことはないけれど、もしそうなったとき、どんなふうに自分というものを理解するんだろうと、時々考えることがある。自分の部屋が知らない場所に見え、クローゼットに詰められた洋服は何かの冗談みたい。あなたのことを知ってるよ、と言ってくれるすべての人たちの顔に心当たりがなく、どこを手がかりにしていいのか、何を信じて、何を目指せばいいのか、見当もつかない。そんなとき、ふいに匂いがやってくる。あ、この匂い、と思った瞬間に、やはり何かが甦る。大切なことを思いだしそうになる。そしてそれを緒に、失われたものを取り戻すための道筋がすっと見えるんじゃないかとそんなことを想像する。それくらい、匂いというのは強いものなのだと思っている。

だとすれば、「自分の匂い」もまた、大切なのだと思う。これまでたくさんの人がいなくなり、わたしたちはもういなくなってしまった人たちのことを思う。そしていつかは、思いだされる側にまわる。頭や胸に浮かぶもの、甦るものは様々だ。笑顔、手のしわ、ちょっとした口癖、後ろ姿。そしてそのすべてを一瞬で想起させるくらいにとくべつなのが、匂いなんじゃないかと思う。慈しみや、過ごした時間、場所、何を着ていて、どこにいて、どんなふうに見つめてくれたか。匂いって、言葉にできないものだけで作られた何かなんじゃないだろうか。

好きなフレグランスはたくさんあるけれど、できるだけひとつの「この香り、この匂い」にしておきたいという気持ちがあるのは、わたしがいなくなったときに、その匂いでもって思いだしてくれたらいいな、という願いからかもしれない。まるでここにいるみたいだ──そう、わたしがいなくなったあとにもし淋しく思ってくれる人があれば、その人にそんなふうに思ってほしい。わたしの大切な人にも、そんな匂いがあったらいいなと思う。匂いは、場所や時間を超えて、失ったものを何度でも届けてくれるものかもしれない。ときには、失くしたことさえ忘れてしまっているものでさえ、思いださせてくれるものなのかもしれない。あなたからは、どんな匂いがしているだろう。それはきっと、いつかどこかで誰かが思いだす、あなたなのだと思う。

文 : 川上未映子
イラスト : NOZOMI YUASA

川上未映子

1976年、大阪府生まれ。 2007年、デビュー小説『わたくし率イン 歯ー、または世界』が第137回芥川賞候補に。同年、第1回早稲田大学坪内逍遥大賞奨励賞受賞。2008年、『乳と卵』で第138回芥川賞を受賞。2009年、詩集『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』で第14回中原中也賞受賞。2010年、『ヘヴン』で平成21年度芸術選奨文部科学大臣新人賞、第20回紫式部文学賞受賞。2013年、詩集『水瓶』で第43回高見順賞受賞。短編集『愛の夢とか』で第49回谷崎潤一郎賞受賞。2016年、『あこがれ』で渡辺淳一文学賞受賞。「マリーの愛の証明」にてGranta Best of Young Japanese Novelists 2016に選出。他に『すべて真夜中の恋人たち』や村上春樹との共著『みみずくは黄昏に飛びたつ』、短編集『ウィステリアと三人の女たち』など著書多数。『早稲田文学増刊 女性号』では責任編集を務めた。最新刊は長編『夏物語』。