2019.12.10 tue

川上未映子「頼もしい彼女たち」コラムvol.3

最近の若い女の子たちと話していると、私が彼女たちくらいの年齢だった時と色んなことが変わったなあとしみじみ実感する。もちろん変わってない部分もあるけれど、しかし「ネット環境の有無」というのは「自分を知ること」のその方法を大きく変えたような気がするのだ。

例えば、何かが似合うとか似合わないとか。そういうのって昔からあった。でもそれはあくまで感覚をベースにしたもので、言語化できたとしても「首が長いからタートルネックが映えるね」とか「背が低いからロングコートは毛布を巻いてる感じになる」とかそういうニュアンスだった。でも最近は違うのだ。まず自分というものがどういう塩梅でできているのかをきちんと押さえ、そこから正解と不正解を導いていくような理論があるのだ。

まず、肌の色。この文章をお読みの皆さんもご存知だと思うけれど、パーソナルカラーと言われるもの。自分の肌の色質がイエローベースなのかブルーベースなのかを知り、さらにそこに季節を冠した差異を見てゆくのだ。略して「イエベ秋」とか「ブルベ春」みたいな感じで、それぞれの肌にすごく似合う色と似合わない色があって、それらが細かくチャートになってネット上に共有されている。例えばメイクなどして「今日めっちゃうまくいったわ」や「このアイシャドウつけるとなんか冴えない気分になる」に「診断」がつき、処方せんを手にすることができるようになったのだ。

他には骨格。その着眼点に感嘆さえするのだけれど、骨格には大きく分けて、ストレート、ウェーブ、ナチュラルの3種類の型があると。何を持って診断するのか難しいところもあるけれど(気になる方は検索してみてね)、どうやら私は骨角ウェーブであるらしかった。で、骨格ウェーブの処方せんをチェックしてみると……調べてびっくり、これまでのスタイリングの成功も失敗もすべてが腑に落ちる結果がそこにあったのだった。なぜ私がワンピース、とりわけある形のものを着ている時に褒められることが多く、なぜジャケットを着て出かけて鏡に映る自分を見た瞬間に一気に絶望的な気持ちになって今すぐすべてを脱ぎ捨て着替えたくなってしまうのか。その理由がすべて書かれてあったのだ……。

すっごいわあ……なるほどねえ……と感激しながら、しかし。可能性とか常に同時に限界を示すものでもある。派手に失敗しなくなる代わりに、「自分ってこうだから」という枠を設定してしまうことにもなるんだよね。自分のことを合理的に理解することはとても大切なことだけど、逸脱や、ひょんな出会いやわからないままにやって得られる成果は、少しずつ遠のいてしまうのではないかと、そんな風にも思うのだ。それに血液型なんかと同じで、自分がどこかの傾向に属することはあるだろうけれど、しかし人がすべて四つや三つのどれかにきっちり収まるはずもない。そうした要約からはみ出すものが個人というもので、そこも同じくらい大切にしたいなと思うわけで。

とすると、やはり何につけてもバランスなのだとありきたりな感慨に耽りもするけれど、しかし言語化できる、言語化する、というのはやはり現実の大きな力になるし、実際的に「そうだったのか!」と膝を打つ感覚は、とても楽しい。これからどんな法則や診断が現れるのだろう。いい塩梅に付き合って、日々のうきうきのエネルギーになることだろう。ああ何にしても、頼もしい彼女たち!

文 : 川上未映子
イラスト : NOZOMI YUASA

川上未映子

1976年、大阪府生まれ。 2007年、デビュー小説『わたくし率イン 歯ー、または世界』が第137回芥川賞候補に。同年、第1回早稲田大学坪内逍遥大賞奨励賞受賞。2008年、『乳と卵』で第138回芥川賞を受賞。2009年、詩集『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』で第14回中原中也賞受賞。2010年、『ヘヴン』で平成21年度芸術選奨文部科学大臣新人賞、第20回紫式部文学賞受賞。2013年、詩集『水瓶』で第43回高見順賞受賞。短編集『愛の夢とか』で第49回谷崎潤一郎賞受賞。2016年、『あこがれ』で渡辺淳一文学賞受賞。「マリーの愛の証明」にてGranta Best of Young Japanese Novelists 2016に選出。他に『すべて真夜中の恋人たち』や村上春樹との共著『みみずくは黄昏に飛びたつ』、短編集『ウィステリアと三人の女たち』など著書多数。『早稲田文学増刊 女性号』では責任編集を務めた。最新刊は長編『夏物語』。